2013年2月1日(金) フトバ どのようにして偉大なクルアーンを読み、理解するか

どのようにして偉大なクルアーンを読み、理解するか

全ての称賛と感謝はこの宇宙の主であるアッラーに。
完全な崇拝に価する唯一のお方。私はアッラー以外に神はいないことをここに証言します。この世界をお創りになられ、全てのものを創造し、そして私達人間を創造されたお方。
偉大なるクルアーンを、彼の預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に下されたお方。偉大なるクルアーンは、アッラーの本であり、アッラーの御言葉であり、つまりはアッラーからの人類への語りかけである。という事から、その本クルアーンがただの本ではないことがご理解いただけるでしょう。
クルアーンには絶対的な真実―――それは人間界では決して見つけられることが出来ないもの―――が含まれている。私達はクルアーンの内容をどのように読み、理解し、いかに実行するかを理解する必要がある。私達はクルアーンの聖なるそして寛大な一つ一つの節(アーヤ)に注意を払う必要がある。心を開いて、思考も、個人的意見や判断をも開放し、目や耳もメッセージを理解するために開放し、準備する。これらのことがクルアーンからの恩恵や利益を習得するために必要な道具です。私達には、クルアーンの偉力を発見する必要があります。至高なるアッラーがその本について述べた話には、次のようなものがあります。
 もしもわれがこのクルアーンを山に下したならば、それはきっとへりくだって、アッラーを恐れ粉々に砕けるのをみるであろう。(以下略)第59集合章21節
この話はどういう意味でしょうか?私達が心を持たないと思っているものでもアッラーを恐れるという事です。私達はどうでしょうか?私達はこの意味をはっきり理解しているでしょうか?私達の人生を変えるのには、ひとつの節(アーヤ)だけで十分でしょう。なぜなら、それはアッラーからきたものだからです。偉大なるクルアーンはただ声に出して読んだり、覚えたりするだけのものではありません。そしてクルアーンを読んだり暗記したりすると私達は「やるべきことはやった。」と思うかもしれません。
そうではありません!クルアーンは私達の毎日の人生で起こる全てのことに対して私達がそれを開き、参考とされるべきものです。私達がひとつの節を読めば、それを心に感じ、私達がそれを読んだり、聞いたりすると心に平安をもたらすものであり、私達の生き方全てをクルアーンをもとに変えるべきものであり、その反対ではなく。
クルアーンでは、こう書かれてあります。
 これらの信仰したものたちは、アッラーを唱念し、心の安らぎを得る。アッラーを唱念することにより、心の安らぎが得られないはずがないのである。第13雷電章28節
クルアーンがある、と言うこの事実は、なんと偉大なアッラーからの恩恵なのでしょう!アッラーの預言者様(彼の上にアッラーからの祝福と平安あれ)は、あるハディースでこうおっしゃっています。
「クルアーンを読みなさい、そうしてそれを祝福だと思いなさい。そうしない事は、悲嘆であり不幸です。」
至高なるアッラーはこういわれています。
アッラーはこの上ない素晴らしいことばを、互いに似た(語句をもって)繰り返し経典で啓示なされた。主を畏れる者は、それによって肌はおののき震える。その時アッラーを讃え唱念すれば肌も心も和らぐ。これがアッラーのお導きである。彼は御心に適う者を導かれる。だがアッラーが迷うに任せた者には、導き手はない。第39集団章23節

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