『斎戒と信仰の関係性について』(’12年8月17日フトバ要約)
「導入部」
このフトバでは、インシャーアッラー(アッラーが望まれるなら)、斎戒とアル=イーマーン(信仰)の関係について述べたいと思います。まず、イスラームにおけるイーマーンの定義を明らかにしておく必要があるでしょう。イスラームにおける信仰すること、つまり、信仰とは、この宗教において、根幹をなすものです。そして、それは他のどんな宗教と同様にイスラームにおいても重要事です。全ての者は何かを信仰し続けますし、ある者の信仰対象が真理であるかについての莫大な討論の蓄積を見出すか知れません。信仰している者たちの中で、確固たる証拠に基づいた真実に立脚した唯一に信仰を信仰している者たちがいます。
「私たちは主を称える・・・」
(創造主(ラッブ)という側面における唯一性の信仰=タウヒード・ルブービーヤ)
イスラームを背景にして話すならばどうでしょう。超越せしかな至高なるアッラーは、その御言葉である啓典において、私たちの心と耳目を引きつけ、そして、私たちを真実に導く無数の証拠を観察し、熟慮するように、注意を喚起しています。天と地、星に雨、昼と夜、生と死、太陽と月等といったこのような証拠の数々は超越せしかな至高なるアッラーへの便りとなるものです。(注:被造物の素晴らしさを見ることで、創造の御業の軌跡を見て創造主の存在に気づき、創造主の愛と慈悲と恵みという属性と美名に思いをはせるということ→平面だった外界が豊穣な意味を持つ=内面化=信仰。例としてカレンダーが小学3年生ぐらいから意味がわかるように時間の観念と言う内面化が起きるのが挙げられる。)超越せしかな至高なるアッラーの導きなしには過ちに至るという前もって為された定めがあることをしることによって、信仰とは純正な方法で私たちの内面を見ることでもあります。(世界が創造の軌跡ならば、完全な創造主はあらゆることをしっているのが神学的帰結となり、創造の初めから終わりまで、全ては定められている(カダー)とおりに、定命が起きる(カダル)ことになります。)
「神への崇拝行為こそ信仰(忠誠Faith)の証・・・」
(立法者(イラーフ)としての側面の唯一性信仰=タウヒード・ウルーヒーヤ)
ここで信仰の次の話に言及しようと思います。信仰と正しい流儀に基づいた信仰を本当に理解するなら、自分の過去の行為と振る舞いを反省することになります。(行為は法学(行為規範学)を想定、振る舞いは道徳・礼儀・修身などのイスラームにおけるマナーを想定) そこで言う信仰とは何なのか?信仰とは言行に忠実に規定されていきます。(前段は外界の観察、アッラーの想像を称えることによる内面化であるが、後半は規範つまり行為による内面化ついて言及している)。ただ、アッラーを信じているというだけでは私たちの信仰はたりないのです。(ムスリムと他を分かつのは創造主がひとりであり、彼の想像を称えるだけではたりず、彼の命令に従い、禁止を避けるという立法者への忠誠が必要となり、)実際の規範に基づいた行為を取らずして、真の信仰とは言えません。(至高なるアッラーのたくさんの恵みを頂いておきながら、その恩を報いようとせず、ただ、命令を無視して恵みののみをむさぼるばかりの者たちが感謝しているといえるでしょうか。)科学において、あらゆる理論には証拠が必要ですが、私たちの信仰においても同様に(至高なるアッラーの御前においてその感謝の)証拠が必要であり、それが規範に沿った行為です。
「結論:斎戒と信仰の関係性とは・・・斎戒こそ信仰の証」
故に、超越せしかな至高なるアッラーは斎戒を私たちに命じました。斎戒は超越せしかな至高なるアッラーを助けるものでしょうか?もちろん、違います。斎戒は信仰の証拠になるのです。雌牛章第177節において、イーマーン(信仰)について言及している個所があります。
「正しく仕えるということは、貴方がたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の日、天使たち、諸啓典と預言者たちをしんじ、彼を愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境を非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。」
ここで、私たちにまず信仰の在り方、次に六信のうちの五つの信条について言及しています。五つの信条についてはすべて目に見えないものです。時間で分類分析すると超越せしかな至高なるアッラーはかつて在ったし、今現に在り、そして将来も在り続けます。かの御方は間断なく不在はなく存在し続ける、(時空を占めない)「絶対有」=「必然存在者」です。(反対に私たちは在る時空において現れては消える「可能存在者」)。最後の日(来世)は未だ来ない未来のことで、将に先々で来る将来のことです。天使は過去創造され、最後の日まで生き続ける存在者です。(最後の日の角笛で一度全員死に、そして、角笛を吹く天使が復活させられ、角笛を吹くことで全員復活します)アッラーの書物、諸啓典は、アッラーの使徒により、(かの御方たちの舌を通じて)、啓示された、いわば、過去の存在者です。(もちろん、クルアーン自体つまりアッラーの言葉自体は被造物ではない)引用後段の喜捨や礼拝の確立、約束の遵守を成就することが引用前段の信仰の証となります。超越せしかな至高なるアッラーはこれらの信仰の証が私たちには必要であるとおっしゃっているのです。まさに超越せしかな至高なるアッラーの命令を遵守し、身を慎む斎戒という崇拝行為することは信仰の証拠そのものなのです。
Bismillah Alrahmaen Alraheem
In this khutba, in shaa Allah taala we will talk about the relation between fasting and aleman (faith ). First we need to know about what is the faith in terms of Islam. Believe and faith in Islam is the main body of this religion. It is even an important fact in any other religions too. Everyone is believing in something and one may find a huge debate about whether the one’s believes is the real truth or not. Among all such believes there should be only one believe that stand solid and true based on real evidences. The backbone of the Islam is about this issue. Allah Sw in his book has attracted our attention to use our mind, our ears our eyes and analyze the countless number of evidence that guide us to the truth. Heaven, earth, stars, rains, day, night, life, death, sun, moon, ……etc are such a tool of evidence to refer to ALLAh Sw. Even on looking to inside our self in pure way with know preliminary decision that might come from false stories we should be guided to ALLAh. Then one may say oh we are believers come next to the point of discussion. Indeed, if we understand our faith and what’s behind it in the righteous way, a reflection on our behaviors and deeds should appear. Therefore, what is the faith? The faith is defined simply as a say and a deed. How much our eman is come from how much our say match our deeds. It is not enough to say I believe in ALLAh as just a say with no support and prove by deeds. Any theory needs a prove and evidence and so that our eman. For that ALLAh Sw has commanded us to fast. Is fasting helping ALLAh sw? Of course not, but it is helping us to prove our eman. There is a great verse in Surat Albaqra number 177 talks about Al-eman (the faith). It tells us in the first part in what things should we believe. And it confirms that the righteous one is the one who belived in ALLAH, in the day after, in the angels, in the book, and in the messangers. These are five mentioned pillars we have to believe in its existence. As one may see, all these five types are unseen (absence) for us. We need to analyze these categories in terms of the time. Allah existed in the past, exists in the present and is existing in the future. Therefore, ALLAH is never been or being absent at any moment. The day after is coming in the future. The angels were being created in the past and they are alive until the day after. The books of ALLAh have been revealed into the messangers of ALALh. These revelations were in the past time. Also, Allah’s messengers were in the past time. To fulfill and prove such believe, Allah Saw needs a proof on that. Then, the next part of that verse talks about that. It talks about deeds and actions we should perform. I am going to explain how fasting can be of these evidence tool to increase our level of eman.