震災の報道を見て、私の周りの沢山のイスラム教徒の友達が心を痛めていた。
日本人もいれば、外国人もいる。どちらかというと外国人のほうが私の周りには多い。
誰からともなく、何かしよう!となって、マスジドの中で募金を募っていた。
しばらくして、近くの県営団地に3家族福島からの第一回目の避難者がやってきたと聞き、
その団地に住んでいる日本人イスラム教徒の方が連絡係となり、マスジドには、その団地で
どのようなものが必要とされているのか、などタイムリーで知ることができた。
そこで週末に私ともう一人インドネシア人のイスラム教徒の女性家族で、近くのスーパーに行き
3家族分のお米、お味噌、乾燥わかめ、いりこ、しょうゆ、さとう、油、タオル(大、小)、石鹸等をそろえた。
入居初めて間もないときだったし、何が必要か大体の情報があったので、それを参考に選んだ。
そして、わずかだが、義捐金を包ませていただいた。マスジドからの手紙も添えた。
私達近所に住むイスラム教徒(いろいろな国のイスラム教徒)が、被災された方のことを思っている、祈っていると
伝えたかったからだ。そう知ってもらえることにより、被災された家族の方に、元気になってもらえるかもしれないと思ったからだ。
みんな何かしたかったし、何か伝えたかった。でも、九州は遠くて、どうすればいいか分からなかったから。
そこに、何かできるチャンスをアッラーからいただいたのだと思った。
イスラームには、隣人を大切にするという教えがある。優しい言葉や笑顔ですら、善行になるとして、勧められているのであるから、
ただ、物やお金を渡すだけでは、十分ではないと、手紙を書いたイスラム教徒は思ったのだろう。
団地に着き、買ったものや、集まった物資を集会所で係りの人に渡しているうちに、
被災者の方がお一人、そこへたまたまやって来た。その方に、そろえた物資を手渡すだけでも、いやその方を目の前にするだけでも、なんと言っていいのか、涙が出そうだった。テレビで見たあの大地震に被災され、住み慣れた土地を離れていらしたのだと思うと、それだけで涙をこらえるので精一杯だった。
義捐金を渡すときも、失礼に当たらないだろうか?など、色々と考えたし、恥ずかしかったし、言葉も、「これ、ほんとに少ないし、気持ちです。」とだけ・・・。 ほんとうにそれがやっとだった。
その時、被災された方は、遠慮されていたので、団地の自治会長さんが、「どうせ自分達が受け取って渡すことになるし、
こういう時だから、もらっておいて。」と優しく勧めてくださったので、受け取っていただいた。
このレポートは、イスラム教徒から集めたお金を間違いなくその目的のために使用したということをお知らせするためのに書きました。イスラームでは、誰かから物を預かるとき、その人の信頼も預かります。そして、その預かったものを、元の場所、又は、頼まれた目的のところに戻すとき、その人から預かった信頼も返せる。つまり、信頼関係が成立する。預かった信頼に対する自分の責任は果たした。ということになるのです。
そして、ご近所の、また、そうでない日本人の方には、マスジドで何をしているの?という質問のお答えのひとつにでもなれば、と思います。
私達は、福岡マスジドのご近所の皆さんのよき隣人となりたいと思っています。
皆さんの上にアッラーから平安と祝福がありますように。