Category Archives: イスラム教
2012年6月8日フトバ ムスリムが他のムスリムに対して行うべきこと
ムスリムが他のムスリムに対して行うべき事 アブーフライラ(アッラーのご満悦あれ)によると、アッラーの使徒(彼の上に祝福と平安あれ)は申された。 「ムスリムが他のムスリムに対して行うべき正しい事柄は六つある。」と申された。 「それらは何ですか?アッラーの御使い様」という声があった。 その御方は「あなたが彼(他のムスリム)に会った時は挨拶をすること、 彼が食事に招待したらそれを受けること、彼があなたの助言を求めた ら、それに応えること、彼がくしゃみをし‘アルハムドリッラー’と言ったら ‘ヤルハムカ・アッラー’と祈願し、彼が病気になったときは見舞うこと、そして彼がなくなったときは葬儀に参列することである」と申された。 最初の事柄の意味は、あなたが他のムスリムにあったとき、サラーム(平安)の挨拶(アッサラーム アライクム)をすることです。本当にこのサラームの挨拶は、愛を広げ、それは信仰を生み出し、その結果その人は、ジャンナ(天国)に入ることになる。預言者ムハンマド様(彼の上に祝福と平安あれ)がこう言われたように、 「私の魂がその手中にあるお方(アッラー)にかけて、あなた方は、信仰を持つようになるまでジャンナには入れません。そして、あなた方はお互いを愛するようになるまで信仰をもてたとはいえません。それでは、私が、どうすればお互いを愛せるようになるのか教えましょうか?それは、あなた方の間で、サラームの挨拶を広げることです。」 サラーム(平安)の挨拶は、イスラームの徳の高い性質からのものです。 二人のムスリムが会った時お互いに相手へシャイターンからのご加護や全ての良いものを運んでくるアッラーからのご慈悲や祝福を祈願するのです。そしてその後に続くのは明るい笑顔とよい挨拶の言葉、結果団結と愛をもたらし、お互いの中にある不和やさめてしまってばらばらになった気持ちを取り除きます。 つまりサラームの挨拶をすることは、ムスリムの義務です。そして、サラームの挨拶をされた人は同じような、さらに良い挨拶を返すのが義務です。そしてそのなかでも最も良いのは先にサラームの挨拶をする人たちです。
第5回マスジド見学会感想(日本人ムスリマの声) 2012年5月26日(土)
アッサラーム アライクム(みなさんに平安がありますように!) 福岡マスジドの大イベントのひとつでもある見学会には今年も沢山の方々に参加していただくことができました。 当日は早くマスジドについたので、会場の準備の段階から手伝うことができました。 日本人のお客様が来られるので、私達日本人イスラム教徒も気合が入ります。 スムーズにイベントが進行する中、私は料理の盛り付けを手伝ったり足りないものを補充したりしていましたが いよいよQ&A(質疑応答)の時間がきました。 Q&Aというのは、日本人のお客様と私達イスラム教徒が4,5人のグループになってお客様のイスラームについて の質問や疑問に答えるというものです。 毎回この時は、質問にきちんと答えられるか、お客さんに正しく伝わっているか心配でなりません。 グループの中に日本人ムスリマ(女性のイスラム教徒をムスリマといいます)と外国人ムスリマが一緒に入ります。 私たちのグループでは、女性らしく結婚やヒジャーブ(女性が頭に被るスカーフの事)について、ラマダン(断食) についての質問をされました。 一緒のグループに入った留学生の姉妹が、結婚式の写真を見せてくれたのでとても喜ばれました。 素敵なウェディングドレス姿は、ムスリマも日本人と同じように結婚して幸せになることを感じてもらえたのでは ないかと思います。 難しい質問をされても知識と経験豊富な外国人姉妹がフォローしてくれるので安心です。 次は、各国の姉妹のみんなが用意してくれたイスラーム衣装を試着していただきました。 色とりどりの衣装をはじめは見ているだけだったお客さんも次々に試着され「これ着やすい。楽ちん!」などと 言われる方もいらっしゃいました。 ムスリマの服は着心地がよくて、冬は暖かく夏は涼しいように工夫もされています。そして裾がゆれるシルエット などはエレガントに見えるので着ていて自然と女性らしい気持ちになります。 そうこうしているとお祈りの時間を告げるアザーンが聞こえ、ムスリムはお祈りを始めます。 最後に各国の姉妹兄弟が作ったお料理をお客さんに食べていただきながら、ムスリムと話をする時間です。 おいしいものを食べると話も盛り上がります。 「お料理はどうですか?」と尋ねると「本当においしいです!」と笑顔で答えてくださった姿が印象的でした。 私達も一緒に料理をいただきましたが本当においしかったです。 何度かお会いした方やはじめてお会いした方とも前回よりも沢山話ができました。 後片付けの時には留学生の姉妹とも話ができ、私にとっても大変有意義なそして次回へとつながる見学会に なりました。 そして今回も50人分の参加者とムスリム達へのおいしいお料理を気前よく作ってくれ、心温まるおもてなし をしてくれた留学生の姉妹兄弟に感謝の気持ちでいっぱいです。ジャザークムッラーフハイラー! 今回もみんなで協力し合い見学会が成功したことで姉妹兄弟の絆も深まったと思います。 アルハムドリッラー! 最後に見学会に来られたお客様やわたしたちの家族、そしてすべての日本人にアッラーのヒダーヤがありますように! 心からドゥアーします。
2012年度イスラミックウィークの報告
イスラミックウィーク(大変珍しいイスラム衣装の展示や軽食の提供あり) 2012年4月16~17日 10:00~15:00 九州大学伊都キャンパス内 2012年月18日~19日 10:00~15:00 九州大学箱崎キャンパス図書館 イスラミックフードフェスティバル2012(エジプト・インドネシア・マレーシア・パキスタン・日本料理の屋台が並びます!!) 2012年4月21日(土) 10:30~14:00 九州大学 箱崎キャンパス
第5回マスジド見学・交流会 : 2012年5月26日(土)10:30~14:00
1.日時 : 2012年5月26日(土)10:30~14:00 2.場所 : 福岡マスジド(モスク)・アンヌール・イスラーム文化センター (福岡市東区箱崎3丁目2-18) 3.イベント内容: イスラム文化紹介講演と質問コーナー モスク内見学(昼間の礼拝見学など) 昼食会(イスラムの国々のおいしい料理が出されます、) イスラムスカーフ・衣装試着 4.お申し込みはこちらへ。tel: 092-641-7022 email: information@fukuokamasjid.org ちらしはこちらです==>モスク交流会ちらし 2012_05_26
2012年3月9日フトバ
イフラース(純正)章のタフスィール(解釈)について(フトバ要約:’12.3.9) 「言え、かの御方はアッラー、唯一なる御方。アッラーは自存者。海もしないし、生まれもしない。何ものも似たものがなく比較できない。」(イフラース章) ・アハマド・ブン・ハンバル祖師(ハンバリー学派の祖:アッラーが彼に慈悲をおかけになりますように)がウバイイ・ブン・カアブ(アッラーが彼に満足なさいますように)が伝える伝承として、イフラース章の啓示の経緯について言及しています。「不信仰者が『おお、ムハンマドよ。貴殿の主の出自について教えていただけないか。』が尋ねると、アッラーはこの章を啓示しました。」と。 ・権威あるハディースによると、この章はクルアーンの3分の1に相当するとされています。イブン・アッバースは次のように語ったとのことです。「クルアーンは三つの原理なテーマから構成されています。」 (1)「法」とその実現のための方法を含む命令と禁止といった規範について。 (2)アッラーの使徒を拒否して否定した者への懲罰と災厄、そして、信者たちへの約束と報奨について。 (3)タウヒード(唯一性)の知識について。それは超越せしかな至高なるアッラーの美名と属性の形容であり、アッラーのしもべが必ず持つべき信仰箇条です。これは三つのテーマの中で一番大切なもので、イフラース章はこの三番目のテーマが凝縮されています。故に、クルアーンの3分の1に相当すると言われるのです。 ・この章にタウヒードの知識とその原理(全能なるアッラーへの信仰の本質)の理解がどのように凝縮されているかみていきましょう。アッラーは命令していらっしゃいます。「かの御方はアッラー、唯一なる御方。」と。ここで、かのお方と比肩するパートナーについて否定していらっしゃいます。ワーヒドの場合も唯一を意味しますが、アハド(唯一なる御方)の場合はより唯一性が窮まっておりアッラーが隔絶しています。 ・イブン・アッバース(アッラーが彼に満足したまいますように)のタフシィール(解釈)によると、「『アッラーはアッサマド(自存者)である』とは、彼は高貴さ(気前良さ)において随一であるということです。彼は全ての属性において完璧であることです。全ての被造物が戻る御方であり、全ての必要と行動を満たそうとして求める御方です。偉大さはかれの偉大さにおいて他の追随を許しません。誰一人として、彼と等しくなく、誰一人として、彼と似たものはいません。」 ・純正のタウヒードとは次のように言及されています。「かの御方は生みも生まれもせず、比べうる何ものもない。」と。この言及は次の一般的な言及から理解できます。「言え、かの御方はアッラー、唯一なる御方。」何ものも彼を生むことはなく、彼もまた何ものも生まないのです。それは彼に一切並ぶものがなく、似たものがないということです。 この章におけてタウヒードの概念が徹底されています。あらゆる偶像崇拝の拒絶と主の唯一性の宣誓です。かの御方が「あらゆる者たちが永遠にすがる」ものとして形容され、あらゆる属性が明かされ、すべての欠陥から縁遠く、父と子といったものから隔絶され、あらゆる被造物がかの御方を必要としながらも、かの御方は何者も必要となさっていないというかの御方の存在をほのめかされています。全ての被造物がすがらざるをえない存在、かのお方の唯一性がここで形容されています。似たものがなく、比較しようがなく、同位の者がないという偶像崇拝(シルク)の否定があります。それ故、この章はクルアーンの3分の1に相当すると言われるのです。