Category Archives: イスラム教
2012年7月13日フトバ要約 「クルアーンにおける勝利の要因と確約について」
「クルアーンにおける勝利の要因と確約について」 〇諸預言者とその追随者こそが最も多く厳しい試練が与えられたものでした。 〇全ての勝利はアッラーからのみ齎(もたら)されるのであり、全ての審級、王権かつ命令はかの御方のみに属するものなのです。 また、天と地の事象は全てかの御方の意志と知の下に起きるのです。 「言え、『アッラーよ、権力の所持者よ、貴方 こそ貴方が望まれる者に権力を与え、貴方が望まれる者から権力を奪い去る御方』」 アッラーが言及している勝利の条件について 〇まず勝利の条件とは言行両方による忠誠心と信仰心の確立です。忠誠心は(アッラーの命令への)遵守によって強まり、違背によって弱まり ます。また別の勝利の条件はシルク(偶像崇拝:アッラーの他の者を同位におくこと、擬人化や被造物と比較することなど)を禁忌することで す。 勝利の条件の数々とは― 〇崇拝行為(イバーダート)はアッラーの被造物のための目標です。この崇拝行為の二つの条件はアッラーに対して誠実であることと聖預言者صのスンナ(慣習・習慣)に従うことです。忠誠心の確立が生む成果とは善の命令 と悪の禁止です。この地上は彼が望む者に与える御方 アッラーのものであり、終末は彼に従う者たちのものです。 〇アッラーに対する誠実さと目標は明瞭であり、崇拝行為のための忍耐、敵へ の忍耐、全ての状況におけて敬虔さを維持する忍耐がそれです。 〇アッラーをズィクル (念じること、思いだすこと)することを増やし、祈願し、議論と疑念を避けて、現れたことでも秘められたことでも、言行両方においてアッ ラーとその使徒صに従い、信仰者の中で謙虚なものに従うべ きです。 〇蓄えのあるうち可能な限り、アッラーのために財貨を費やすべきです。 〇アッラーのその使徒、信徒のうち謙虚なものを愛してください。善を命じ、悪を禁じてく ださい。 〇 宗教と勝利のおいて、アッラーを完全に信頼しきるようにしてください。 The factors of victory and confirmation in Quran … Continue reading
2012年度ラマダン期間中のご案内
“ラマダーンの月こそは、人類の導きとして、また導きと(正邪の)識別の明証としてクルアーンが下された月であ る。それであなたがたのうち、この月(家に)いる者は、この月中、斎戒しなければならない” Quran 2:185 インシャアッラー、福岡マスジドは聖なるラマダン月の間いろいろな行事をご用意しております。福岡市内だけでなく九州に住むムスリムの皆さんにも参加していただければと思います。実り多きよりよきラマダンとなりますように!フィーアマーニッラー。 ちらしはこちらRamadanFlyerB5Japanese revisedラマダン期間中のご案内をご覧ください
2012年7月6日(金) フトバ〜アッラーのために費やすこと
アッラーのために費やすこと バカラ章177節でアッラーはこのように仰せです。 「正しく仕えるということはあなたがたの顔を東または西に向けることではない。つまり、正しく仕えるとは、アッラーと最後の日、天使たち、諸啓典と預言者達を信じ、かれを愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境と非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ誠実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。」(日本ムスリム協会訳を引用) 美しく、完璧かつインスパイヤしてやまない節ですが、アッラーはبَرّ(バッル:正しさ、篤信)の真の意味をそこで正確に語られています。真に篤信者(アブラール)であるムスリムは決められた礼拝の方位として顔を単に東や西に向ける者たちのことではないのです。アッラーとアッラーの被造物に仕えるために人生を捧げる者たちのことです。真の信仰者(ムゥミヌーン)の心は主への畏れ、崇敬と尊敬で満たされています。これらはタクワー(主への畏れ)で心が満たされたアル=ムッタキー(主を畏れる者)の性質そのものでもあります。 ザカート(義務の浄財:財産(マール)の2.5パーセントと断食明け(フィトル)の二つ)とサダカ(法学用語としては任意の施し、広義では慈善一般も指す)に費やし、アッラーへの感謝と愛の深い意味合いの自覚からくる純粋な動機に基づいて行われるべきものです。(注1)私たちは常に自身に、たとえ知識技能や富、成功をえるようになったとしても、私たちは(あらわれては消える泡沫のように)現世に生を受け、そして去ることになり、私たちの行為の記録(天使によるものとアッラーがご存じである来世の審判のための記録)以外何もないのです。 アッラーのご満悦を求める方法として、富や時間、能力や技術を費やすことについて、考慮したうえで拒否する人々とはどういう人たちでしょうか?クルアーンにおいて、彼らについて言及されています。ムハンマド章最後の節において、自己中心さ、けちさについてそれはシャイターン(悪魔)の業であると警告しています。シャイターンと彼らの様々な手管について警戒しなさいとのことなのです。彼らは私たちのイーマーン(信仰心)を蝕む手管をいくらでもしっているのです。(注2) もし、私たちが誠実に取り組むことが難しい時でも、アッラーは私たちの信仰心を強めてくださいます。なので、私たちはアッラーの道に費やすことを妨げる貧困をおそれてはいけません。アッラーはアール・イムラーン章92節において次のように私たちに約束してくださっています。 「あなたがたは愛するものを(施しに)使わない限り、信仰を全うしえないであろう。貴方がたが(施しに)使うどんなものでも、アッラーは必ずご存知である。」(日本ムスリム協会訳引用) また、バカラ章277節でも、このように仰っています。 「本当に信仰して善行に励み、礼拝の務めを守り、定めの喜捨をなす者は、主の報奨を与えられ、恐れもなく憂いもない。」(日本ムスリム協会訳引用) (注1) Fitra(فطرةフィトラ)については、ここでは、断食明けのザカートルフィトルのことを指している。日本では一人1,600円であるが、両手いっぱいの穀物の量が日本の米を貨幣に換算したら、およそその額になるため。インドネシアではFitra(h)と省略して言われているようだ。また、フィトラとは本性という意味合いもある。その場合は、ゆがんでいないアッラーが造ったままの素直な人間の本性という意味合いで使われる。 (注2) ムハンマド章38節「見よ、あなたがたはアッラーの道のために(所有するものの一部の)施しを求められるのである。それなのにあなたがたの中には、貪欲な者がいる。だが、貪欲な者は、只自分の魂を損なうだけである。アッラーは 自足されているが、貴方がたは貧しい。もしも、あなたがたが背き去るならば、彼はあなたがた以外の民を代わりに立てられよう。それはあなたがたと同様でないであろう。」 Spending for Alláh In Sura Al Baqara verse 177 Allah said: “It is not righteousness that … Continue reading
2012年6月29日(金)フトバ〜来世について(第3回目)
来世について(第3回目) 今回のフトバは来世のことで、以前のフトバの続きになります。 最初のフトバでは最後の日(ヤウミ・ル=アーヒラ)の始まりについて 話しました。二番目のフトバではラッパについて話しました。(注1) そしてラッパではあらゆる被造物は復活し、私たちは全ての被造物は一 つの場所に召集され、審判が始まるまで待つのです。その時によって、審判は始まります。地獄の業火は近くに運んでこられます。(注2)皆 が皆それを目の当たりにし、その出現のため恐怖心で一杯になります。いよいよ皆現世における行状書を右手もしくは左手で受け取ります。 (注3)クルアーンで言及されている事態が現前します。それは悪行を否定した場合に、自身の体が証言し始めるのです。 私たちは私たちの善行と悪行が天秤によって量られます。この天秤は二 つの受け皿を持っています。この天秤の量りはどうなるのでしょうか? その一つは人々の善行と(悪行)を量ります。しかし、重要なのは彼ら の行状の全てを同じ方法で量るわけではないということです。 至高なるアッラーはこのように仰せです。「アッラーは決して 少なく見積もるような不当なことはなさらない。いかなる善行であろうとも、彼は倍加し、彼の御許から大きな報奨を与えたまう。」(4:40) 天秤で量られた後、皆が皆スィラート(注4)を渡ることにな ります。それはとても細い通路になっています。(注5)ナイフや剣よりも細いというのです。それは獄火の谷にかかる吊り橋です。義人のみ がつつがなく天国(の門)まで渡りきることができます。(注6)不死の場所と呼ばれ、天国で永遠に住まい、地獄にも永遠に留まり続けま す。 (注1) 第1回、第2回を内容を参照できていないのでそれを見て修正するかも しれません。それにあわせて、第一回、第二回を載せます、インシャーアッラー。 (注2) 天使たちが運んできます、(クルアーン89:23参照) (注3) 左手で受け取る場合彼には左手は背中にまわされてつながれて体の自由 がきかず、背後から左手で受け取ります。(クルアーン69:19〜32、84:7〜10) (注4) ここでは吊り橋のことです。 ファーティハにも同じ言葉がでますが、それは道のことです。 (注5) 最初は広く、先になるにしがっ て細くなっていきます。最後にはナイフの刃先の上のようになります。 (注6) 人によっては稲妻のように通り 抜け、あるものは必死になりながらゆっくり渡りきり、さらに獄火に落ちるものもいます。ハディースによると、獄火に落ちたムスリムには必 ず預言者ムハンマドصの執り成 し、アッラーの救済があり、最終的に皆天国に入ります。 Hereafter 3 We will continue in … Continue reading
2012年6月15日 フトバ
2012年6月15日 フトバ 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において 今日のフトバでは、前回お話した「ラーイラーハイッラッラー(アッラー以外に神はなし)」とその言葉が人の行動やマナーに与える影響についてお話したいと思います。 まずはこの偉大な言葉を全ての人類に伝えるためにと、アッラーは全ての預言者に託したという事を知るべきです。そしてもし私達がこの言葉の意味を本当に理解したのならば、私たちは欠けているところの何もない真のムスリムになります。このことを証明するアーヤ(節)は偉大なるクルアーンに沢山あります。 例えば 第7章 高壁章 59節 先にわれはヌーフをその民に遣わした。彼は言った「私の人々よ、アッラーに仕えなさい。彼の外に神はないのである。本当に私は、偉大な日の懲罰をあなた方のために恐れる。」 全ての預言者様達、預言者ノア様からわれらの預言者ムハンマド様(平安と祝福が彼の上にありますように)までに送られてきているそのメッセージは、「ラーイラーハイッラッラー」です。アッラーの全ての預言者達は彼らの人々にこのメッセージを信じるようにと、アッラーから命令を受けたのでした。ここで私たちが注意しなければいけないのは、「信じる」ことの意味です。ただ口先だけでこの言葉を言うのは十分ではないからです。それではこの言葉を信じることの利点を見ていきましょう。まずこの言葉は私達にアッラーが誰であるかを教えてくれます。アッラーの名前や特質を知ることは、限界ある私たちの理性にとっては大きな援助です。一度私たちがアッラーの特質の深い意味ををはっき りと実感し感じたならば、私たちは確実に心の中の平安に満ちた静けさと、安心を得るでしょう。そうなれば、私たちがこの世で出会うどんなことも、私たちをがっかりさせたり、失望させたり、ストレスな人生という事はまったく感じないでしょう。何故でしょう?答えは単純です。だって私達一人一人にはどんな状況でもその知識によって、私たちのことを聞いてくださり、知っていてくださる、そして私たちの呼びかけに対し答えてくれる、なによりもこの宇宙全体で最高度の完全な力を持ったお方、私たちの主がいつも私達一人一人と一緒なのですから。このような感覚や信仰はあなたを幸せな気持ちにしませんでしたか? 私たちのうちこう思う人もいるかもしれません。「どうしてこのような話を人生で昼も夜も繰り返すのか?」 繰り返すことの英知は、それらの良い言葉や話がどれだけ私たちの人生に必要か?という事に親密に関わっているように思われます。例えば私達は生きていくための活力を得る必要がありますから一日に3回、時にはそれ以上食事をしますよね。同じように、真の人生を得るために、私達は、この良い言葉を昼に夜に思い出し、口にする必要があるのです。そうすることで、私達の人生はこの宇宙にある他の生物と美しい調和でいけるようになるでしょう。