Category Archives: イスラム教

10/27(土)ままムスび@福岡マスジドのご案内

ままムスびin福岡 10/27(土) ままムスび@福岡マスジドのご案内 来る10月27日(土)に、日本ムスリム協会青年部&婦人部主催で、 福岡マスジドにて、「ままムスび@福岡マスジド」というイベントを行います。 <スケジュール> プログラム1「ムスリムのための育児講座」(日本語&英語) 日時:10月27日(土) 10時〜 場所:福岡マスジド 地下1階  テーマ:自分でできる やる気を引き出す 家庭でのムスリム子育ての環境づくりのヒント 〜特別支援教育のノウハウから〜 1、 頭でっかちなムスリム育児を イメージしていませんか? 〜身辺自立、感覚統合、世界を感じるちから=アッラーを知るちから 2、自分でできる やる気を引き出す 環境づくり 3、ヒントは子供のなかにある 4、ムスリマママのための発達と発達障害講座 プログラム2「ムスリム家族の育児座談会」(日本語&英語) 日時:10月27日(土) 13時30分〜 場所:福岡マスジド 地下1階 テーマ:日本で楽しくムスリム子育てをするには? ・親同士のつながりについて ・子どもにイスラームを伝えるってどういうこと? ・どうしていますか?ムスリム以外の人とのおつきあい。 ・親だって 落ち込む時もある! ☆両プログラム共、家族で参加できます♪ ☆昼食は、それぞれ持ち寄っておすそわけして食べましょう。 「ままムスび」というのは日本で楽しくムスリム子育て、というテーマで、 誰か先生からイスラーム式教育法を教わる、とかいうのじゃなく、 ムスリム皆で、子育てについての不安をシェアし、みんなで経験を語り、できることを探っていこう、というプロジェクトです。 今回、ままムスび発起人のぜふら金山佐保さんが講師として山梨より来てくださいます。 ぜふらさんは日訳クルアーンの点字訳に長らく貢献されており、現在は障害児教育についての修士課程を経て、障害児支援施設で働いています。 今回の講義は、私は2年前に同じ内容を小山モスクで受講しましたが、子育てとは、当たり前のことを当たり前にすればいいんだな(しかしそれが一番難しく、できていない)、というのを改めて実感する内容で、子育てに携わる全ての方々(親だけでなく、お姉さん、お兄さん的立場の人にも)に聞いてもらいたい内容です。 皆さんの参加お待ちしてます。また、まわりに新米ママorパパムスリムさんがいらしたら、誘ってあげてください。

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2012.10.30 ハラールセミナー詳細

10月30日ハラールセミナー 今成長中のイスラム市場に関して、福岡マスジドでも、大阪の日本ハラール協会を講師として招いて10月30日に一般企業向けにハラールセミナーを開催することになりました。 記 日時:2012年10月30日(火) 午前の部: 10:00~12:00 午後の部: 13:00~14:30 場所:福岡マスジド  住所:福岡県福岡市東区箱崎3丁目2-18   参加費 : 各部2000円 お申し込みは福岡マスジドfax no. 092-641-7022 e-mail: information@fukuokamasjid.org 担当 古城 090-422-8603 セミナー申込書です。 福岡ハラールセミナー福岡 プログラム (1)午前の部:10:00~12:00 『イスラム市場参入の具体策〜ハラール認証を取得して海外進出!』 豊富な実例を用いて、ハラール認証、ハラール産業における最新情報をお伝えします。 ① ハラール認証の実務 ② イスラム市場の動態と日系企業の進出戦略 (2)午後の部13:00~14:30 『日本におけるイスラム市場開拓!〜ハラール食とイスラムサービスとは』 まだあまり知られていない国内におけるイスラム市場、広範囲に渡る各業界でのイスラム教徒のニーズの存在をご紹介します。 ①  ハラールサービス産業とは ②  外食産業、旅行業界におけるハラールサービス ③  質疑応答

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イードルフィトリ1433H〜 2012年8月19日(日) フトバ

イードゥルフィトルのフトバ要約(’12.8.19)    アルハムドゥリッラー!!(الحمد للهアッラーにこそ称えあれ!!)私たち超越せしかな至高なるアッラー、全能なる我らが主に心から感 謝し、称えます。イードの祭礼に参加することができたということはまさに恵みだからです。私たちはラマダーンを完遂しました。アルハム ドゥリッラー!!私たちは超越せしかな至高なるアッラーに、その深い慈悲と情け深さと至福ゆえに、赦しを希(こいねが)います。  ラマダーンには世界の七不思議に比肩するような素晴らしい徳があります。その七不思議についてはご存じの方もいらっしゃると思いますが、ラマダーンだけに限らず一年 を通してそうなのですが、私たちの心を耕さざるをえない七つの鍵が存在しています。(それを今回、紹介しましょう。)   (1)愛 (ア)超越せしかな至高なるアッラー への愛は人生におけるその命令の遵守によって確固たるものとなるということ。 (イ)聖預言者(かの御方に平安と祝 福あれ)への愛は(真の信仰者にとって)この世のどの存在、家族、配偶者、子供、富や両親などといったものよりも深いものであるというこ と。 (ウ)ムスリム同胞に対する愛(への 気づき)。 (2)感謝(شكرシュクル) 超越せしかな至高なるアッラー に感謝しましょう。かの御方こそは慈悲深さから私たちに日夜(様々な恵みを)授ける御方(アル=ワッハーブ)に他ならないからです。 (3)忍耐(صبرサブル) これはイスラームにおける最重要術語の一つで、日常の生活に大きな触発を与えるものですらあります。故に超越せしかな至高なるアッラーは聖クルアーンでこのように仰せ なのです。「忍耐と礼拝によって我(アッラー)に助けを求めよ。誠にアッラーは忍耐する者とともにいらっしゃる。」(雌牛章(2)第153節:拙訳) (4)畏れ(خاشعةハーシア) ラマダーンの聖月の肝心要の目 的は人生の全ての局面における超越せしかな至高なるアッラーへの畏れ(の獲得)にあるといって過言でないでしょう。「信仰する者たちよ、 お前たち以前の者に定められたようにお前たちにも斎戒が定められた。それによって、お前たちは主を畏れるようになるだろう。」(雌牛章(2)第183節:拙訳) (5)希望    超越せしかな至高なる アッラーはこのように仰せです。 「『アッラーの慈悲に絶望してはならない。』」(集団章(39)第53節:拙訳) (6)満足して頼ること(توكلタワッカル、タワックル) これは信仰者に必須の性格の一 つで、魂に素晴らしい効果を与えるものです。タワッカルは人間を他の被造物への依存からの解放であり、超越せしかな至高なるアッラー、唯 一かつ全能なる創造主への導きです。 (7)純粋さ(إخلاصイフラース) 私たちの行為は全て、超越せし かな至高かつ全能なるアッラーのためだけに、誠実になされなければならないのです。他の人の目を気にしたり顔色をうかがってではなくで す。(他の人の目に見えないところで誤魔化さず)ただ超越せしかな至高なるアッラーとの関係性の中で、かの御方のためだけにする斎戒の定 めらたラマダーンこそは我々のイフラースの高貴な試金石といってよいでしょう。 … Continue reading

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福岡マスジドイードプログラム内容

イードプログラム(マスジド内) インシャアッラー、マスジドではイード初日を祝うイードプログラムをご用意しています。皆様マスジドへぜひご参集ください。  ☆ プログラム ☆ 1. 07:00〜 タクビール 2. 09:00〜 イード礼拝  3. 09:10〜 イードフトバ 4.09:35〜 クルアーンコンテストやイスラムクイズの結果発表 5. 09:50〜 子供達へのプレゼント配布 6. 10:00〜 軽食会 皆さんのご自慢の一品を男性用と女性用に分けて二皿ご持参いただければ幸甚です。尚、食事会では地下が男性、三階が女性フロアとなります。 7. 11:00〜 掃除  各コミュニティから最低三人は出してください。責任者は ブラザーIbrahim Ezwal です。 尚、イード当日はマレーシア人ブラザーが全体統括をすることになっております。皆さんご協力をお願いします。 福岡マスジドコミッティ拝  Eid  al-Fitr   Gathering( inside Masjid):     … Continue reading

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2012年8月17日(土)フトバ『斎戒と信仰の関係性について』

『斎戒と信仰の関係性について』(’12年8月17日フトバ要約)    「導入部」 このフトバでは、インシャーアッラー(アッラーが望まれるなら)、斎戒とアル=イーマーン(信仰)の関係について述べたいと思います。まず、イスラームにおけるイーマーンの定義を明らかにしておく必要があるでしょう。イスラームにおける信仰すること、つまり、信仰とは、この宗教において、根幹をなすものです。そして、それは他のどんな宗教と同様にイスラームにおいても重要事です。全ての者は何かを信仰し続けますし、ある者の信仰対象が真理であるかについての莫大な討論の蓄積を見出すか知れません。信仰している者たちの中で、確固たる証拠に基づいた真実に立脚した唯一に信仰を信仰している者たちがいます。   「私たちは主を称える・・・」 (創造主(ラッブ)という側面における唯一性の信仰=タウヒード・ルブービーヤ) イスラームを背景にして話すならばどうでしょう。超越せしかな至高なるアッラーは、その御言葉である啓典において、私たちの心と耳目を引きつけ、そして、私たちを真実に導く無数の証拠を観察し、熟慮するように、注意を喚起しています。天と地、星に雨、昼と夜、生と死、太陽と月等といったこのような証拠の数々は超越せしかな至高なるアッラーへの便りとなるものです。(注:被造物の素晴らしさを見ることで、創造の御業の軌跡を見て創造主の存在に気づき、創造主の愛と慈悲と恵みという属性と美名に思いをはせるということ→平面だった外界が豊穣な意味を持つ=内面化=信仰。例としてカレンダーが小学3年生ぐらいから意味がわかるように時間の観念と言う内面化が起きるのが挙げられる。)超越せしかな至高なるアッラーの導きなしには過ちに至るという前もって為された定めがあることをしることによって、信仰とは純正な方法で私たちの内面を見ることでもあります。(世界が創造の軌跡ならば、完全な創造主はあらゆることをしっているのが神学的帰結となり、創造の初めから終わりまで、全ては定められている(カダー)とおりに、定命が起きる(カダル)ことになります。)   「神への崇拝行為こそ信仰(忠誠Faith)の証・・・」 (立法者(イラーフ)としての側面の唯一性信仰=タウヒード・ウルーヒーヤ)  ここで信仰の次の話に言及しようと思います。信仰と正しい流儀に基づいた信仰を本当に理解するなら、自分の過去の行為と振る舞いを反省することになります。(行為は法学(行為規範学)を想定、振る舞いは道徳・礼儀・修身などのイスラームにおけるマナーを想定) そこで言う信仰とは何なのか?信仰とは言行に忠実に規定されていきます。(前段は外界の観察、アッラーの想像を称えることによる内面化であるが、後半は規範つまり行為による内面化ついて言及している)。ただ、アッラーを信じているというだけでは私たちの信仰はたりないのです。(ムスリムと他を分かつのは創造主がひとりであり、彼の想像を称えるだけではたりず、彼の命令に従い、禁止を避けるという立法者への忠誠が必要となり、)実際の規範に基づいた行為を取らずして、真の信仰とは言えません。(至高なるアッラーのたくさんの恵みを頂いておきながら、その恩を報いようとせず、ただ、命令を無視して恵みののみをむさぼるばかりの者たちが感謝しているといえるでしょうか。)科学において、あらゆる理論には証拠が必要ですが、私たちの信仰においても同様に(至高なるアッラーの御前においてその感謝の)証拠が必要であり、それが規範に沿った行為です。     「結論:斎戒と信仰の関係性とは・・・斎戒こそ信仰の証」 故に、超越せしかな至高なるアッラーは斎戒を私たちに命じました。斎戒は超越せしかな至高なるアッラーを助けるものでしょうか?もちろん、違います。斎戒は信仰の証拠になるのです。雌牛章第177節において、イーマーン(信仰)について言及している個所があります。 「正しく仕えるということは、貴方がたの顔を東または西に向けることではない。つまり正しく仕えるとは、アッラーと最後の日、天使たち、諸啓典と預言者たちをしんじ、彼を愛するためにその財産を、近親、孤児、貧者、旅路にある者や物乞いや奴隷の解放のために費やし、礼拝の務めを守り、定めの喜捨を行い、約束した時はその約束を果たし、また困苦と逆境を非常時に際しては、よく耐え忍ぶ者。これらこそ真実な者であり、またこれらこそ主を畏れる者である。」 ここで、私たちにまず信仰の在り方、次に六信のうちの五つの信条について言及しています。五つの信条についてはすべて目に見えないものです。時間で分類分析すると超越せしかな至高なるアッラーはかつて在ったし、今現に在り、そして将来も在り続けます。かの御方は間断なく不在はなく存在し続ける、(時空を占めない)「絶対有」=「必然存在者」です。(反対に私たちは在る時空において現れては消える「可能存在者」)。最後の日(来世)は未だ来ない未来のことで、将に先々で来る将来のことです。天使は過去創造され、最後の日まで生き続ける存在者です。(最後の日の角笛で一度全員死に、そして、角笛を吹く天使が復活させられ、角笛を吹くことで全員復活します)アッラーの書物、諸啓典は、アッラーの使徒により、(かの御方たちの舌を通じて)、啓示された、いわば、過去の存在者です。(もちろん、クルアーン自体つまりアッラーの言葉自体は被造物ではない)引用後段の喜捨や礼拝の確立、約束の遵守を成就することが引用前段の信仰の証となります。超越せしかな至高なるアッラーはこれらの信仰の証が私たちには必要であるとおっしゃっているのです。まさに超越せしかな至高なるアッラーの命令を遵守し、身を慎む斎戒という崇拝行為することは信仰の証拠そのものなのです。   Bismillah Alrahmaen Alraheem In this khutba, in shaa Allah taala we will talk about the relation between fasting and aleman (faith … Continue reading

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